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    質問第三セクター県境界駅について

    • 2015/3/1
    • katsumoto1-1

    北陸新幹線開業と同時に、在来線部分が第三セクターになりますが、
    多数の県をまたがるために、それぞれの県単位で別々の会社になります。
    そこで県境となる駅が出てくるのですが、この決め方と言うのはどうなってるのでしょうか?
    長野県のしなの鉄道は越境して新潟県の妙高高原までです。これはまあ駅の大きさや今までも
    妙高高原行きなんかもあったので妥当かなと思います。これからはここで全列車乗換えに
    なってしまいますしね。
    気になったのは石川県のいしかわ鉄道と富山県のあいの風とやま鉄道との境が
    倶利伽羅駅ということです。
    普段使ってるわけではないので偏見ですみませんが、倶利伽羅駅は単なる峠の信号所の
    雰囲気しかなく、富山県側の石動駅の方が大きくて立派な駅です。
    境界駅としては石動にしたほうがすっきりすると思うのですが、なぜ石川県側の
    倶利伽羅駅が境界駅になったのでしょうか?
    まあここの区間はすべての列車が直通運転するので、単なる決まりごとで決定した境界駅
    なんだとは思いますが、なんか深い理由があるのでしょうか?

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  • 回答

    • 2015/3/1
    • kuma-gorou
    • ベストアンサー

    肥薩おれんじ鉄道の事例を除き、財産区分の境界は県境になります。
    よって、県境の最寄駅が境界駅になるのではないでしょうか?

    ですから、倶利伽羅駅は、「IRいしかわ鉄道」と「あいの風とやま鉄道」の共同使用駅で管理は、IRいしかわ鉄道になります。
    市振駅も、同様の扱いになります。
    ダイヤの概要は、以下のとおり。
    http://response.jp/article/2014/12/20/240096.html
    乗務員も「いわて銀河鉄道」「青い森鉄道」の例に倣い交代なしだと思われます。
    運賃精算も財産区分で精算されます。

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  • 締切済

    質問音楽のレポート作り

    • 2012/8/18
    • odayuyamjs

    うちの学校では「親知らず子知らず」という曲を歌っているのですがその研究レポート作りを夏休みの宿題で出されました。詳しく知っている人は教えてください。;O;

    舞台背景、物語など・・・。

  • 回答

    • 2012/8/20
    • TAC-TAB

    ちょっと調べてみましたら、下記のサイトが参考になりそうです。
    児童文学者の山本和夫さん(1907-1996)の詩に、岩河三郎さん(1923-)が曲を付けた、合唱曲です。
    ※ 親不知・子不知: 新潟県南西端・青海町、富山県との県境に近く、北アルプスが日本海に落ち込んでできた断崖。高さ300m~400mの急崖が約15kmにもわたって続く、北陸道最大の難所で、親子を顧みる余裕もないほどの険しさから、親不知・子不知(おやしらず・こしらず)の名がある。

    http://www.youtube.com/watch?v=2DtXTDW4Tgc
    合唱曲

    山本和人 作詞
    岩河三郎 作曲

    この曲は、日本海岸の交通の難所 「親不知 子知らず」 に秘められた悲しい母娘の伝承を歌ったものです。

    「親不知子不知」 は、新潟県南西端の青海町から富山県との県境に近く、北アルプス後立山連峰の北端が垂直に日本海に落ち込んでできた断崖で、高さ300m~400mの急崖が約15kmにもわたって続いています。  
    今は浸食によって砂浜はなくなっていますが、昔は人がようやく通れるほどの砂浜があったそうです。  
    北国街道最大の難所で、親子を顧みる余裕もないまま、波の合間を駆け抜けたほどの険しさから、親不知・子不知 (おやしらず・こしらず) と呼ばれるようになったということはよく知られています。  
    また、壇ノ浦の戦いの後に助命され、越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた平清盛の弟、頼盛の夫人が京から夫を慕ってこの難所を通りかかった折、2才の愛児を波にさらわれてしまった際に悲しみのあまり詠んだ

    「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の 泡と消えゆく」

    という歌が由来になったとも言われています。


    http://www.city.itoigawa.lg.jp/dd.aspx?menuid=4198
    親不知(おやしらず)・子不知(こしらず)
     天下の険として有名な親不知、子不知海岸。北陸本線親不知駅を中心とする青海駅、市振駅間約15kmの総称で、親不知駅・市振駅の間が親不知、親不知駅・青海駅の間が子不知と呼ばれています。

     地名の由来はいくつかあり、

    1.北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから親知らず・子知らずと呼ばれるようになった。

    2.平清盛の弟、頼盛の夫人が夫の後を慕って親不知を通りかかった折、2才の愛児をふところから取り落とし、波にさらわれてしまった際に悲しみのあまり詠んだ「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく」という歌が由来になった。

    などという説があります。

     現在はJR北陸本線、国道8号、北陸自動車道が通り、通行に支障は無くなりましたが、親不知記念広場の展望台から海岸線を眺めれば、当時の苦難が想像できることでしょう。


    http://nire.main.jp/rouman/fudoki/24nihi06.htm
    親不知子不知
    西頚城郡青海町
     兄の清盛と対立してゐた平頼盛は、京から越後へ逃れ、五百刈村で落人として暮らしてゐた。京でこの噂を聞いた妻は、二才の子を連れて、越後へ向かって慣れぬ旅に出た。越中を過ぎ、越後の入口に入ると、道は波の打ち寄せる絶壁の下の狭い砂浜だけだった。この浜を、波が引いては進み、波が来ては岸壁に身を寄せて波の引くのを待って進んだが、とうとう波に足をすくはれて、子どもの手が離れ、その子は波に呑み込まれてしまった。そのとき詠んだといふ歌。

     ○親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く

     この歌から、越後のこの難所を、親不知子不知といふやうになったといふ。

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