堀切駅のQ&A

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    質問東武鉄道の浅草ー北千住はなんであんなロスのあるルートにしたのですか?

    • 2017/3/6
    • dum1103

    東武鉄道の浅草ー北千住はなんであんなロスのあるルートにしたのですか?明治時代に引いているのになぜあんなことをしたのか。

  • 回答

    • 2017/3/7
    • koge-magu

    こんにちは。
    首都圏の私鉄で電車運転士をしております。

    東武鉄道は、東京地域から伊勢崎などの上毛地区、更に佐野から日光方面への路線敷設を目指していました。

    今も昔もそうなのですが、一気に路線を敷設することは経済的に難しいので、常磐線と接続する北千住と、利根川の舟運が使える久喜との間を開業させました。
    こうすれば、北千住まで来た貨物は、常磐線⏩山手線で田端、池袋、新宿経由で東海道線まで繋がりますから。

    ただ、無駄も多い経路ですし、
    北千住起点では無く、もう少し都心部まで自前の線路をと考えるのは自然です。

    北千住⏩曳舟⏩今の亀戸線で亀戸⏩そして総武線に乗り入れて、今の両国駅をターミナルにしました。
    貨物輸送は、亀戸から今のJRの引き込み線の経路そのままに越中島を経由し、現代の汐留まで線路を敷設をするつもりだったのです。
    この当時、東海道線の起点は汐留(当時は新橋駅)でしたので、南下することを意識していたのです。

    隅田川を渡って浅草(花川戸)へ行くようになったのは、
    ⚫ターミナルが他社の駅では、利幅のある商売ができない。
    ⚫汐留方面への延伸を断念した。
    ⚫曳舟から近い(敷設距離が短くて済む)
    ……これら背景からで、第一の建設意義では無かったのです。

    更に、大正時代に荒川放水路(今の荒川)建設に伴い、堀切駅移設などもありましたので、現代から見ると不可思議な経路になってしまったのです。

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