山口県阿武郡阿武町のQ&A

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    質問共産主義の国が一党独裁になる訳

    • 2007/7/24
    • shakshak

    そもそも共産主義の国家で成功した国はあるの?

  • 回答

    • 2007/7/25
    • korokorodo

    【資本(第一)主義】NOR【共産主義】という二元論で見るのではなく・・

    ユダヤ政商が何世紀もの間、
    世界へ広めてきている「資本主義化」は、(グローバリズム)
    資本“第一”主義であること。。。
    資本主義ということは・・
    競合すれば、巨大資本が必勝というのが定石であること。
    利息があることで、
    巨大資本家はいつでも、資金を引き上げることで、物価を上げたり、
    インフレにしたりして恐慌を起こすことが出来、
    為替操作も可能であること・・
    また、、民主主義を資本主義とイコールに使ったために、
    多くの人の中で、
    資本主義という巨大資本家だけが自由を許される非民主主義社会を
    民主主義だと思い込んでる人が多いこと(私もそう・・!)

    GHQ後、安保下で、
    そういうマスコミ、メディア力を使った「すり込み」で
    今の日本人は多分に洗脳状態にあるように思える・・?!?

    今、中国やロシアや江戸幕府では、どちらかというと・・
    資本“第四?”主義ではないかと見る視点が無視されてるのではないかと気になっています・・・
      1番目の価値=宇宙の絶対的価値
      2番目  〃=宇宙環境の下で許された地球が生み出した
             生命のあるものと
             生命のないもの(山、川、海、等の価値)の価値
      3番目  〃=地球上の生命体のなかで、2番目の価値を自由に動かすことの出来る力を与えられたことへの畏怖、謙虚さ、視点の広さ=自分の立場だけの私利私欲視点ではない・・
            そういう人間の文化の歴史で培ってきた民族の文化、伝統、宗教・・・

     その後に来る4番目の価値が、「資本」ではないか?!?
    そういう4番目の資本主義なら、
    地球破壊や、地球上の富の独占は無いだろうし、
    人間だけでの独占も無いだろうし、
    地球を長持ちさせる一番の方法ではないかと思う・・・?!?

    つまり・・・
    【共産主義】や【社会主義】という経済学の体系化、定義づけそのものが、
    ユダヤ政商の理論を下にかかれた論文であったこと・・・
    その基本中の基本が
    アダムスミスの【国富論】であり、、
    きっかけは「百科全書」であったこと・・・???

    1776年、アメリカ独立した年に、
        アダム・スミス53才、スコットランドへ帰郷し、
       3/9『国富論』を出版し、
         経済学としての体系の始まりとなっています
      アダム・スミスについては、、対人恐怖症傾向が憶測されます・・  彼の常識論:(α)『常識(良心)とは、第三者視点から自分を客観視することで、「自己規制」である』との視点で
          経済学を体系付けているために、
          その基盤?大前提に・・
          (β)『内なる道徳を持つフェアプレイ社会』を期待してるため、
           (α)を無視するユダヤ政商らの資本主義は
           (β)という民主社会を実現しない・・??
           
           
           (α)こそが資本(第四)主義の(3)番目の価値視点かもしれない・・??
           
    ユダヤ政商に書かされてるという人為性?ひょっとしたら??一種のクーデター性?を感じるのは、、同年の出来事です・・・
    同年・・
    1776年、仏財務総監であるチュルゴーが、
        ユダヤ政商ら特権階級からの反対を受け失脚した年でもあります
       彼は、重農主義、ギルド撤廃穀物市場の自由化をした日本で言えば、
       通商財務大臣??!?
    1776年【イルミネイト】(秘密結社(ソサイティ))
         =米CFR、英RIIA(チャタム・ハウス)の原型「円卓会議」のルーツ中のルーツ!が、
       独、ババリアで結成される。
       創立者:アダム・ウェスハプト(プラトン派の哲学者)
        主旨:プラトンが作った政治結社『アカディミア』を習い、
    政治家、立法家という国家の指導的立場の人材を育て
           集結させ、最終的には理想の世界統一国家を作ろう
       これは、現日本で活躍してる「松下政経塾」が同発想であることで、
       政治家の方向性をうかがうことが出来ると思います。。
       どういう人物に指導を受けたか??など・・
       その政治家の人脈がある程度、、推察できる・・・??

    スミスの国富論1776年
    スミスに先立つ重商主義の時代:
      国家や国民の豊かさは金銀の獲得と貨幣の蓄積にあるとされ、
      それは「貿易差額」によってのみもたらされ、
      (cf 重農主義では自然の恵みによる農業上の生産物)。
     当時大英帝国政権は・・・
        植民地の軍事的支配の上で保護貿易政策をとり、
        独占的統制経済を築き上げて、
        巨大資本を有するユダヤ金融財閥が直接利害に関与できなかった。
     ユダヤ財閥スミスは、力ずくの植民地支配は早晩破綻することを予見し、
     最も自然に、かつ最も早く国を豊かにするには、
     個人の利己心による自由な経済活動を放任し、
     「見えざる手」にまかせることがよいとした。
     各人の利己心に基づく活動を自由に放任しておけば、「見えざる手」に導かれて、
     自然に交換は普及し、分業は発展し、生産力は高まってゆく。
     農業、商業、工業が順次発展し、国内の生産力が外国貿易へと「自然的経路」をたどってあふれ出ることにより、
     資本主義社会が、最も順調に発展するとした。
     「見えざる手」という言葉は、第4編第2章に一度でてくるに過ぎないが、
     スミスの自由主義経済思想を端的に表しているといえる。
     またスミスは、自由経済社会が順調に存続するための
     国防・司法・教育・土木等・国家の役割を述べた。
     『国富論』により、スミスはその現在に至る経済学の原型を示し、名声を不動のものとしたのである。
    Key Word 見えざる手(an invisible hand)
    もちろん、彼は、社会一般の利益増進を意図しているわけではなく、
    また自分が社会利益をどれだけ増進しているのかも知らない。
    外国産業よりも国内の産業活動を維持するのは、
    ただ正確につかめる情報で、目の前の平和と安定を社会に保障するため、
    しいては、その感性が他文化・民族への尊厳につながり、
    地球と共生することにもつながる
    資本(第一)主義視点では、
    自分の生産物が最大の価値をもつように産業を運営するが、
    ラッセルの社会主義では、自分自身の価値を社会での貢献、重要度?という精神的満足の働きを高揚する。
    幕府時代の賢人に欧米ユダヤ政商はなかなかてこずり、
    明治以前には、世界中で、ユダヤ政商らの属国になっていない国は、
    日本ただ一国だったと戦中派は明治育ちの大人に伝え聞く・・
    その人材が、世界中での日本の信頼を作り上げてる
    自国のためだけでない共生繁栄・・・
    ただ、渡辺美智雄・中曽根政権以降、公明党が大衆化することで、
    日本人が作った国際取引パイプにユダヤ政商らの手が直結し出す・・

    4/7、ヴォルテールが、パリでB・フランクリンの招きで、
       フランマソヌリ(フリーメイソン)に入会し、           反ローマ・カトリック、反権力の執筆政治的活動発言をしている・・・
       友人数学者タランベールと国発行の宝くじの当選確率を計算し、   全部!買い占めると100万ルーブル儲かるというミスに気づき!!
       借金してでも!買い占めた
       (今の自由主義資本主義経済の「バグ」のようなもの?
        をついて投資で儲けることで資本家はどんどん儲かる・・!)
    ★?年、仏ポンパドゥール夫人、ルイ15世のベルサイユ王宮医であるケネーとの親交
       
    1751年からの『百科全書』編集のために経済研究はじめ、 
    仏社会の宮廷浪費が、
    1753年から、農民租税負担過重となり、
    重商主義で労賃引き下げするために、
    穀物輸出禁止し、農産物価格下落させてる・・と指摘。。
    1758年、『経済表』・・・
        古代中国の農本専制政治を理想社会と考え、
        富の唯一の源泉は土地であり、農業だけが生産的であるとする
        マルクスは、
        彼が社会的総資本の再生産?を経済学の中心問題とし、
        再生産過程の主な契機を相互に連関した全体の部分として把握しようとしたことを評価??
        シュンペーターは、彼の学説から、
        自然の秩序を絶対視し、
        人為的政策を撤廃すれば
        個人の利益はおのずから調和されるという「自由放任」主義古典派経済学の世界観の先駆をなした
    ・・・・
    1880年1月、 門田三郎兵衛、五代友厚ら財界人の寄付により 市立大阪商業講習所を設立。
       (⇒大阪市立大阪商業学校⇒(3)1901年大阪高等商業学校を設立
       ⇒1928年大阪商科大⇒1949年現・大阪市立大学、天王寺商業高等学校
       +1955年市立医科大編入、医学部設置+アダム・スミスの1776年『国富論』初版本所有
       =産業革命以後における「見えざる手」(invisible hand)による経済学の移行プロセスを明言。
      16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的政策。
      のち仏王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールの経済運営(コルベール主義)が有名。ブリオニズム。
      重商主義政策批判:重商主義は、金が富である
      ⇒植民地絶対王政のもと、貿易黒字で、逆に金貨幣が大量国外流出し、
      軍事支出増大すると、英経済は疲弊
      スミスは、グレシャム批判として・・・
           (1)貨幣改鋳 (2)自由主義関税撤廃(競争主義) (3)租税改革と戦費調達のための国債発行停止
           当時、葡萄酒をフランス輸入に依存し、フランスとの貿易赤字が急激に増大。
           これまでの輸出入で国内経済を黒字にする視点から、
           スミスは、他者との比較で最も優位性を持つただひとつのモノを生産する特化された人間が、
           分業で技術革新し、労働生産性をあげる国内生産性の競争力に焦点をあて、
           貿易においては⇒ ×保護貿易、○自由貿易

    五代は、グラバーの指導の下で、・・・・
    旧3商大:(1)東京高等商業学校(現一橋大学)(2)神戸商大(神戸大学)(3)大阪市大
          大阪製銅、関西貿易社、共同運輸、神戸桟橋、大阪商船、阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)などの設立      


    松下政経塾・・・・
    日本史で有名なのは、松下村塾が始まりですが・・

    松下村塾・・・・・ユダヤ政商の視点の煽られ、悪意は無いものの、
             征韓論を唱え、日本の政権にユダヤ政商らを導きいれる危険を考えなかった・・
      人物の一人、松蔭が大きくした塾  
      幕末、長州藩士の玉木文之進(吉田松蔭の叔)が
      長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)で開講した私塾
      松陰も学んでいる
      のち、
      1855年、松陰(藩校明倫館元塾頭)は、
      実家である杉家に蟄居し、杉家の母屋を増築して塾を主宰する
      武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れ、
      尊皇攘夷の京都での実行犯?を排出し、
      1858年、藩は許可を与えるが、
      松陰が安政の大獄で粛清された為に、僅3年で廃止
      M維新で、勝者としてユダヤ政商の譜代として、
      ユダヤ政商属国としての?新政府に関わる人間を多く輩出
      塾生名簿は現存(幕府統治下で、スパイとして働いたので、
      隠されてる??現権力者?山口組の黒幕?等々・・
      先祖姻戚が明らかになる?)しないが、
      公開されてる門下生には・・・・
      久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、小野述信らがいる
    刺客としてグラバーの小姓・五代友厚:1955年第1回長崎海軍伝習所生⇒上海に密航し、欧州視察
           1968年M政府の外国事務掛として大阪赴任、
           1868年仏水兵が堺に上陸、あばれ、新政府から治安維持要請されていた土佐藩士出動、殺害したことに対し、
             仏公使抗議に有利なように外国官権判事・五代友厚は外交処理し、
             新政府は交渉する機会も持たずに、ご尤もですべて言いなり(堺事件)賠償金15万円
             大阪府権判事兼任として、造幣局を大阪に誘致した
           1869年、退官し、グラバーの指示で、金銀分析所設立、鉱山経営、紡績、製藍業など実業開始。
              五代、花外楼でグラバーと密会。薩長との情報連携
           1875年、大久保利通、木戸孝允、板垣退助らが花外楼で「大阪会議」
           1891年、黒田清隆が批判を浴びた開拓使官有物払下げ事件(参照:M十四年の政変)にも五代は関わり、
                政商といわれた。
           現・大阪証券取引所、現・大阪商工会議所(初代会頭は五代友厚)、
           江川英竜: 1825年、異国船打払令、幕府制定
          ⇒1837年モリソン事件(音吉ら7人の日本漁師送還しようと近づいたのに、日本が砲撃したとして攻撃理由にされる)の時期に、、、
           川路聖謨・羽倉簡堂の紹介で、
           江川は開国派の西洋画・渡辺崋山・蘭医・高野長英ら尚歯会と交流:
           (シーボルト鳴滝塾や江戸・吉田長淑の弟子たちの政治結社
            表向きは歯科学勉強会として暗裏で活動し続け、 
            水野忠邦は、西欧対策に知恵を借りようとしたが、保守勢力により解散させられる。
            が。1855年、江川英竜の洋学所、設置により引き継がれ、海舟へと影響する)
            同年1837年、大阪町奉行与力・大塩平八郎の乱(天保の大飢饉のなか、飢えながら幕府に年貢する不満)等社会不安
            M維新の30年前、 当時配布された「檄文」で、乱の情報が大名から民衆まで密かに、全国に広く伝わり、
           幕藩体制に大きな衝撃を与える。
          ⇒39年、個人として江川らを立てて、尚歯会・秘密結社らが蘭学(儒学)通じての英との連絡を取り合い、
           英米への密航計画がもれ、鳥居耀蔵が崋山逮捕,長英自首、小関三英は逮捕前に自殺。
           彼らの縛批判「慎機論」は未出版で、家宅捜査時に草稿が発見されて後で発覚したもの。
           (蛮社の獄) 江川は崋山らに利用されたとして、水野が庇い,
           事件後、崋山らの遺志をついで長崎に向かって、高島に弟子入りし、
           西洋砲術の普及に努める。
          (弟子:佐久間象山・大鳥圭介・橋本左内・桂小五郎(のちの木戸孝允))
          (江川家統治下、武州多摩の流派である天然理心流を学ぶものが増えそれが後の新撰組結成に繋がり、
           副長・土方歳三は義理兄・佐藤彦五郎を通じ江川の農兵構想を学んで、
           平等な実力主義の新撰組は江川の近代的な農兵構想が基礎になってる)   

    松下村塾・・・ 明治維新の後、復活し、1892年(M25)まで存続。
           萩市の松陰神社の境内には、修復された当時の建物がある
            模築・・・東京都世田谷区:松陰神社
                 玉川学園(玉川大学) - 東京都町田市(広瀬淡窓の咸宜園の模築と並んでいる。)
                 山口県立奈古高等学校 - 山口県阿武郡阿武町
                 竹村記念公園 - 秋田県大館市(竹村吉右衛門(当時安田生命相談役)が実現する)
                 徳山大学 - 山口県周南市
                 山口放送本社 - 山口県周南市
                 道の駅萩往還公園 - 山口県萩市(松陰記念館内

    安部氏のDNAにユダヤ政商が刻み付けられてる風土を見てみる・・??!?

    ユダヤ政商らの常として・・・・

    彼らは祖国を持たない代わりに・・
    自分たちが各国で作り上げてきた記念となるものは大切にする・・??
    ように感じる・・・・

    例)お札; 聖徳太子⇒福沢諭吉(彼も征韓論者で、
                    世界大戦を勃発するのに必要な、
                    また岩崎弥太郎の三菱へ人材を送ってる・・
                    本人の自覚の有無は別として・・)
          夏目漱石⇒ユダヤ政商の支援のもとで実験功績、
                   愛いやつだった?野口秀世・・
                   人格的には疑いがある・・女郎買い
                   屈折した人格だったという話を
                   裏話として伝え聞いたことがある・・
                   強い物に弱く、
                   弱い者に大きく高飛車だった・・

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