岡山県久米郡久米南町のQ&A

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    質問親鸞の《義なきを義とす》は 神の依怙贔屓か?

    • 2016/7/23
    • bragellone

    あらためて問います。

    1. たとえば 次のように言っています。

    ▼(親鸞:義なきを義とす) ~~~~~~~~~
    (あ)(親鸞の書簡:末燈抄・十) 他力と申し候ふは とかくのはからひなき
    を申し候ふなり。

    (い)(同上) 仏智不思議と信ぜさせ給ひ候ひなば 別にわづらはしく とか
    くの御はからひあるべからず候ふ。ただ ひとびとのとかく申し候はんことをば 
    御不審あるべからず候ふ。とかくの御はからひあるべからず候ふなり。

    (う)(同上:九) 他力には 義なきを義とするとは申し候ふなり。

    (え)(歎異抄・十) 《念仏には 無義をもつて義とす。不可称・不可説・不
    可思議のゆゑに》と仰せ候ひき。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    2. 《無義》というときの義は けっきょく《おのがはからひ》のことだと思
    われ それを《義》とするというときの義は それでよいという意味なのでしょ
    う。〔ほかの解釈は ありましょうか?〕

    3. だとすれば アミターバ・タターガタの《他力》については いちいちわ
    れわれ人間が考えることはない。と言っているはずです。思考にはなじまない。

    4. 《念仏》についても (え)で同じく無義を言うのですから 何ら思考す
    る余地を残すものではない。こうでしょう。

    5. 言いかえると 称名念仏は《非行非善》なのですから 修行やあるいは思
    考・思索を経て《信じる》ことがあたえられるというものではなく 善行を積ん
    だから《アミターバの光に摂取され すくわれる》わけのものでもない。浄土行
    きの鉄道が敷かれているものではない。

    6. アミターバの名をわが心に受け容れたそのとき 《即得往生》である。と。
    (理念や知的内容ではなく ただその名をである。思考や修行の問題ではないゆ
    え)。

    7. もしこうだとしたら 人びとは何故 《念仏をし修行をして浄土にたどり
    つく》と考えるのでしょう?

    8. 善行をなさなければ 極楽往生しないと何故おのがハカラヒにて 考える
    のでしょう?

    9. アミターバとワタシの関係は あとは そのときそのときおのが実存をど
    う生きるか。これだけではないでしょうか?

    9-1. 生きたあと どうなるかは 関係ないのではないでしょうか? その
    現在〔なる動態〕が 永遠の現在である。はず。
     
    9-2. 生き切ったなら その実存の総体がたたえられる。これでおしまいで
    いいのではないでしょうか?



     
    10. では アミターユス(アミターバ)とワタシの関係として 不遇の目に
    遭い逆境を生きなければならないとき それは 何をあらわしているのか?



    11. 神――もしくは ブッダの慈悲――は エコヒイキをするということで
    あろうか?

    12. たとえば:

    ▲ (神のえこひいき?) ~~~~~~
    (お)(出エジプト記 33:19~ローマ書 9:15)
    神は あわれもうと思う者をあわれみ
    いつくしもうと思う者をいつくしむ。
         
    (か)(マラキ書1:2-3)
    わたし(=神)は
    〔双子の兄弟が母の胎内にいるときからそのうち兄の〕エサウを憎み
    〔弟の〕ヤコブを愛した。
         
    (き)(ローマ書 9:18)
    神はそのあわれもうと思う者をあわれみ
    かたくなにしようと思う者を かたくなになさる。
         
    (く)(テモテ第一書 2:4) 神はすべての人が救われることを欲したまう。
          
    (け)(ヨハネ福音 3:8) 風は思いのままに吹く。
    ~~~~~~~~~~

    13. このあと 《だから 言わんこっちゃない これこれなのだ》か あるい
    は 《けれども じつは こうこう こうなのだ》か ご見解をお示しください。

    自由なお考えを待っています。

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  • 回答

    • 2016/7/24
    • wintersnow3

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    生涯[編集]
    生い立ちと出家・授戒[編集]
    長承2年(1133年)4月7日、美作国久米(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国と、母・秦氏君(はたうじのきみ)との子として生まれる。生誕地は、誕生寺(出家した熊谷直実が建立したとされる)になっている。
    『四十八巻伝』(勅伝)などによれば、保延7年(1141年)9歳のとき、土地争論に関連し、明石源内武者貞明が父に夜討をしかけて殺害してしまうが、その際の父の遺言によって仇討ちを断念し、菩提寺の院主であった、母方の叔父の僧侶・観覚のもとに引き取られた[2]。その才に気づいた観覚は、出家のための学問をさずけ、また、当時の仏教の最高学府であった比叡山での勉学を勧めた。


    法然
    https://ja.wikipedia.org/wiki/法然

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    ☆ は ひとつに≪クシャトリヤとして・戦士としての≫も
    のですね。


    それについて、気になるのは、法然の場合、仇討ちを断念しているわけで、
    念仏とは方向性が異なるのでしょうかね。

    阿弥陀仏の本願、あるいは本願力と念仏が一致するということでも
    よさそうなものですが、気になる話は、仇討ちの断念です。


    バガヴァッド・ギーターの普遍性については、
    ヒンドゥー原理主義に対して、イスラームとの対立がありますから、
    どうしても、イスラームのほうが普遍的だと思います。微妙なところかな。

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